エッセイ:餃子の王将

ゼミ担当の加藤です。 ポピュラーカルチャーを議論している「国際文化論」の授業の余談で、餃子の王将について話そうとした回があったのですが、何かの都合で話せませんでした。何人かの学生から、最終回のペーパーで続きが気になるとい … “エッセイ:餃子の王将” の続きを読む

ゼミ担当の加藤です。

ポピュラーカルチャーを議論している「国際文化論」の授業の余談で、餃子の王将について話そうとした回があったのですが、何かの都合で話せませんでした。何人かの学生から、最終回のペーパーで続きが気になるというリクエストがあったので、ここに書いておきたいと思います。気がついてくれたらいいんですが。

名古屋では「餃子の王将」は、ファミレス的なイメージで展開していまして、ファミリー向けに主に国道沿い大型店があったりします。大きな駐車場もあるので、みんな車でいく感じですね。名城大学の学生によると「居酒屋とファミレスの中間」という意見もありました。バーミヤンなんかと同じカテゴリかも。

しかし私が20年近くを過ごした京都は、餃子の王将の本社や第一号店があったりするディープな本拠地で、もっと餃子の王将はローカルで「大衆的」なイメージです。カウンター席を中心とした小さな店舗が市内にものすごい密度で存在していて、それぞれに店主の個性が染みついていてオリジナルメニューだらけで、夕飯のおかずを一品だけ近所の人が持ち帰りで買いに来るような、日常生活のなかになじんだ食堂みたいな感じです。

日常的で大衆的という意味では、京都に大量に存在する大学生にとっては「安い値段でおなかがいっぱいになる」ニーズを満たし、労働者にとっては「昼間からカウンターで酒が飲める」「仕事帰りに餃子をつまみに一杯ひっかけてから帰る」ニーズを満たせる店です。

このあたり、名古屋とはちょっと違う感じがする。京都にいったら餃子の王将に入ってくれ、それもなるべく小さくて汚い(失礼)ところに。

……という話を、おそらく授業でイギリスの労働者階級とは、とか、日本の演歌を受け入れているのはどんな集団だろうか、というあたりで、私が京都の「餃子の王将」の話をしたかった、ということです。

この話には続きがあります。

当時学生で、餃子二人前とライスで500円の20歳ぐらいの私にとって、「餃子の王将で生ビール」って憧れだったんですよ。横で昼間っから餃子に生ビールをキメてる素性不明な人とか、王将でお酒飲んでる仕事帰りの会社員とか普通にいまして、「(僕にとっては最小限の予算で最大限のカロリーを摂取できるだけのお店である)餃子の王将で、(定食一食分ぐらいの500円ぐらいする)生ビール飲めるようになったら、人生あがりだな」って思ってました。

で、こうして就職しまして、いつだったか、京都の餃子の王将で生ビール頼んだときは、うれしかったなぁ。ついにここまで来たか、という感慨がありました。餃子の王将で生ビールを頼めるレベルに達したぞ、と。

あの瞬間は人生のサクセスを感じていたんですが、その後、餃子の王将の生ビールは、いわば「きつい労働をやりすごすためのアルコール」という、まさに19世紀の産業革命期のイギリスの工場労働者にとってのジン(かなり強い蒸留酒)、みたいな役目を果たすことを、私は大学での労働を通じて身体に叩き込まれていくのです。餃子の王将の生ビールは、無知な学生にとっては成功と憧れの対象でしたが、労働者にとっては飲まなきゃやってられねえよ的なドラッグだった。ほんと、酒でものまねぇとやってられねえよ、バン!

……さて、名城大学に移籍したのを機に、京都から名古屋に引っ越してきて、「久しぶりに餃子の王将で生ビールをキメよう」と、近所にある国道沿いの王将へ行きました。日曜日の昼間かな、ひとりで。クルマでいくと飲めないから、ばからしいなと思いながら30分ぐらいかけて歩いていきました。

で、カウンター席に座って、「生ビールと、」って言ったら、注文をとりにきた店員さんがギョッとしたんですよね。「え?飲むの?」って。こっちからしたら、それこそ「え?」ですよ。「なんで餃子の王将のカウンター席にひとりで座って生ビールを飲まないの?」ですよ。でも、違うんだなと思いました。ああそうか、名古屋では、というか、私がたまたま入った国道沿いの餃子の王将には、そういう「文化」の人が来ないんだなあと。

階級とは、文化とは、を考えさせるエピソード「餃子の王将」でした。異文化なんて、日常生活のなかで一歩違えるだけで、いくらでも身近にありますよね。

こんな長い話を授業の「余談」でする気だったのか。

かとう